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WoW回顧録④ ~心に残るWoWの詩(うた)~ 2006年頃

World of Warcraftというゲームでは、
数々のプレイヤーが心に残る詩を詠んできました。

それだけこの論理空間上で起こった不可思議な出来事が、
プレイヤー達の心を強く突き動かしたということでしょう。

今回の記事では、あるWarlockのField PvPに関する詩をとりあげ、
当時のプレイヤー達の心境を振り返ってみたいと思います。



WoW回顧録④ ~心に残るWoWの詩(うた)~ 2006年頃_a0091967_1294880.png


序盤の解説



やっぱりFieldPvPは面白いなぁ。
PvE鯖では楽にQuestやれるようなとこが、
RedName見かけてドキっとか。


『やっぱりFieldPvPは面白いなぁ。』

PvPサーバーでは、間違っても「PvPは嫌いだ」とか、
「PvPは苦手だ」とか言ってはいけませんでした。

たとえ本心ではそう思っていたとしても、
常に「俺はPvPを楽しんでいる」と虚勢をはる必要がありました。

なぜなら、一度PvPに弱気な姿勢を見せてしまうと、
「あいつは情けない奴だ」という烙印を押される可能性があったからです。

「やっぱりFieldPvPは面白いなぁ。」とかいう唐突な一文は、
そういった心境をよく表しているといえます。

「FieldPvPがあると大変だなぁ。」ではいけないわけです。

中盤の解説



1000nのレース場で
同lvlRogにcheapshotから入られて
慌ててVoidShield張って
Fearからめくったりとか、


『同lvlRogにcheapshotから入られて』

Field PvPで「RogueにCheapshotから入られる」というのは、
Stealthで近づかれて無警戒なところを攻撃された、ということを意味します。

また、その時点で結構なアドバンテージをRogueに握られたことも意味し、
場合によってはそのまま殺される、ということもよくありました。

なぜわざわざこの一文をいれたのか?

これは要するに「序盤はかなり分が悪かった」
ということを強調したいわけです。

そんな不利な状況にも関わらず、
「慌ててVoidShiled張って」、「Fearからめくった」わけです。
しかも、自分より弱い相手ではなく、「同lvlRog」相手にです。

どうです、すごいでしょう?

不利な状況だったけど余裕で倒した、邪魔だったから殺した、
というニュアンスが伝わらないとダメなんですね。


終盤の解説



Desolaceで4つ上のWlkを襲って
逆に殺される>SS即復帰で殺す
SS復帰されて殺される>campくらって
Mob狩りだしたとこで復帰>殺される
('(ェ)';;)とか。


なぜわざわざ「4つ上の」とかいう文言を書いたのか?

レベル差が4もあるというのは、PvPにおいて相当なハンデであるということは、
WoWをやったことのあるプレイヤーなら誰でも感覚としてわかると思います。

そんなハンデを承知の上で、こちらから襲い掛かったというわけです。

その後結構ボコられてますが、「SS即復帰で殺す」といった具合に、
レベル4つも上の相手に善戦したということをそれとなくうかがわせています。




僕もPvPサーバーであるArchimondeサーバー時代は、
レベリング中にField PvPを楽しんではいましたが、
こういう状況ってともすれば凄く面倒くさいんですよね。

集団でGankされたりすることもあったので、
正直なところ嫌だなあと思うことも多々ありました。

ちなみに僕は、『移住して思ったこと』という10年前の記事で、
PvEサーバーであるProudmooreに移住した時の心境についてこう書き記しています。

・フィールドでHordeから殺されることがない(逆に殺すこともほぼない)
・みんなPvEが上手いっぽい(?)

おかげでLvlingはすげえ楽だった。
Gankとかで殺される心配がないのはかなり気楽。
ただ同レベルのHordeとやりあうのはある意味醍醐味だったし、
結構面白かったので、それが無いのは若干寂しい感じもした。


僕の場合は、Field PvPの面白さはたしかにあるけども、
それよりも殺されることがない気楽さが先にきてる感じです。

その一方で『やっぱりFieldPvPは面白いなぁ。』と思う人もいたわけです。
この辺の感じ方は人それぞれってところなんでしょうかね。

いやあWorld of Warcraftの世界って、本当に面白いですねえ。
# by maqie | 2016-03-22 00:55 | WoW回顧録

WoW回顧録③ ~心に残る名言集(Archimondeサーバー編)~ 2006年頃

前回の更新からだいぶ間があいてしまいましたすいません:p

理由は二つあって、一つは年度末前後の多忙のため、
もう一つはクラロワとかいうスマホゲーにはまっていたためです。
(クラロワはかなり面白いので今後レビューしてみるかもしれません。)

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さて、前回と前々回の記事で、Archimondeサーバーにおける
日本人コミュニティの雰囲気についてふれました。

今回の記事では、その辺をもうちょっと深く味わってもらうべく、
当時のハードコアな名言を中心に10選してみました。

百聞は一読に如かず、ってところですかね。
一つずつ画像つきで解説していますのでお楽しみください。

※すべてノンフィクションです。
※画像はイメージです。



その①


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Dwarf Male Paladinによる、ZGインスタンス入口での発言。

これはどういうシチュエーションだったかよく覚えていないのですが、
たしか前々回の記事で書いた『ZG検問』みたいな行為に対して、
「Ally側もチームで対抗しよう」みたいな話が持ち上がった時に
それをたしなめるような感じで発言されたと思います。

『サラリーマン金太郎』のワンシーンで例えるとこんな感じですかね。
WoW回顧録③ ~心に残る名言集(Archimondeサーバー編)~ 2006年頃_a0091967_2201519.jpg

この頃のAlly側合同Raid団体は、ギア的な意味でも、
またPvPのスキルやチームワーク的な意味でも、
Horde側(FdE)に対抗できないようなところがあったので、
血気にはやった連中を一喝する感じで発言されたと記憶しています


その②


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Dwarf Male Paladinによる、Ally側合同Raid団体の会議中での発言。

Archimondeサーバーの日本人は、とにかくヤクザな一癖ある連中が多く、
Ally側の合同Raid団体を運営する上で、円滑に関係調整するのが難しい側面もありました。

FF14や他のMMOなどで、『ギスギスした雰囲気』とかよくいわれたりしますが、
Archimondeサーバーはそういった生温いレベルではなくて、
『完全に喧嘩上等の雰囲気』といっても過言ではありませんでした。
なのでChatでも婉曲的な発言じゃないガチの直言や暴言がままありました。

ところで、Raidに対しての意識としては、例えば人によっては、
コンテンツを楽しみたいとか、大勢で和気藹々とやりたいとか、
そういった考えで参加している人も勿論いますよね。

そういった意識のすり合わせを合同Raid団体のIRC会議でしている際に、
「うちのギルドがRaidに協力している理由は100%アイテムのためですよ」
という趣旨でこの発言はなされました。
(言外には「それ以外でお前らと馴れ合うのは勘弁」といったニュアンスもあり。)

つまりは↓こういうことです。
WoW回顧録③ ~心に残る名言集(Archimondeサーバー編)~ 2006年頃_a0091967_3205525.jpg

実は僕はこの時の会議に諸般の事情で参加してないんですよね。
勝手なイメージでその雰囲気を『ドラゴン桜』のワンシーンで例えるとこんな感じですかね。
WoW回顧録③ ~心に残る名言集(Archimondeサーバー編)~ 2006年頃_a0091967_2484419.jpg

発言のポイントは9割とかお茶を濁した感じではなく、10割と言い切るところです。

こんな風にある意味で軋轢を助長する直言をしてはばからない空気が、
Archimondeサーバー時代のAlly側合同Raid団体にはありました。
(ちなみにそういう面ばかりではなく、和気藹々とした面も勿論あったんですけどね。)



その③


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Human Male Wizardによる、MageのTier1ギアのしょぼさについての発言。

Ally側の合同Raid団体は、前述のとおり一癖も二癖もある人物が多く、
彼らの行動はRaidのアイテム分配にも影響を与えました。

原始的なDKPシステムでアイテムを分配していたのですが、
例えばMageのTier1セットのように、
MC(Ragnaros)ではかなり使える(FRが高い)装備でも、
PvPで使えないとみるや完全にスルーしている人も多くいました。
要するに、DKP溜め込んでもっとPvPで使える装備とろう、みたいな感じです。

また、PvPやBGをやりこんでいたプレイヤーは、
すでにわりといいHonor装備をもっていて、
それらはFRとかを抜きにすると、実際Tier1より強かったんですよね。

これはそういった皮肉な状況を端的に言い表した発言です。

言い方のポイントとしては、『べらんめえ調』でいう感じです。
池上遼一のマンガ『HEAT-灼熱-』で例えるとこんな感じになります。
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ちなみにこのWizardは核心をついたことを端的に言い表すのが上手く、
今回の記事で紹介した以外にも名言(?)を数多く残しています。



その④


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FdEのメンバーによる、たしかWoWの公式Forumでの発言。
(MMO RPGのプレイヤーなら誰でも知ってる汎用的な名言でもありますね。)

これもどういったシチュエーションだったかよく覚えてないんですが、
たしかFdEが、BGかなんかで戦った外人とフォーラムで喧嘩をしていて、
FdEのメンバーが外人を煽ってこの発言をしていた気がします。

その話が当時の僕のギルド内でも話題になって、
それをきっかけにしてよくこのセリフが使われ出したと思います。

使い方としては、例えばDuelやBGで、
自分より装備が格上の相手に勝った場合に使います。

再現イメージとしてはこんな感じになります。
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勝った後に『SKill vs Gear』と一言だけいうのがポイントです。



その⑤


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Human Male Wizardによる、ギアとプレイヤースキルについての金言。

『Skill vs Gear』というのは、MMO RPGにおける永遠の命題の一つです。
要するに『Skillの方が重要かGearの方が重要か』ってことですね。
主にPvP的な文脈で語られることの多い話題です。

PvPにおいては、僕みたいにGearの弱さを
負けた言い訳にするプレイヤーがいたりするんですが、
そんな言い訳に対する一つの答えとしてなされたのがこの発言です。

使い方としては、例えば自分より装備が格下の相手が、
装備の弱さを負けた言い訳にしている時に使います。

これも『べらんめえ調』でいうのがポイントですね。



その⑥


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Orc Male Shamanによる、弱腰なAlly側プレイヤーに対しての発言。

Classic WoWだった当時は、タレントの切り替え機能もなく、
タレント変更にも結構な金がかかったので、
そう簡単にタレントをころころ変更できませんでした。

そのため、Ally側の合同Raidが軌道にのりだすと、
本来ならPvP好きな連中も、Raidに貢献するために、
PvEに特化したタレントにしたりしていました。

また、Raid以外でPvP向けのギアを集める時間的余裕も、
なかなかとれなくなっていました。

一方、Horde側のFdEは、『ZG検問』のような行為以外でも、
例えばThousand Needlesでの5vs5の対抗戦を呼びかけたりして、
Ally側に積極的に喧嘩を売って抗争をしかけていました。

そんな中で、Ally側には、ギアやタレントを言い訳的なものとして、
FdEがしかけるPvP抗争に積極的じゃないプレイヤーもいました。
(かくいう僕もそのプレイヤー中の一人でしたw)

そんなAlly側の弱腰なプレイヤーに対して、
FdEのメンバーが確かブログ上で挑発した発言がこれだったと思います。

雰囲気としては、冗談抜きで結構シリアスな感じです。
池上遼一のマンガ風に改変するとこんな感じになります。
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『四の五の言い訳してないでかかってこいや雑魚が』って感じですね。
いつもこういった感じで『Skill vs Gear』に関する話題はつきませんでした。



その⑦


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Gnome Male Warlockによる、Voice Chatに対する批判的発言。

ArchimondeサーバーにおけるAlly側の合同Raid団体は、
開始時期は遅かったものの、その後の進行速度はそれなりに順調でした。
しかし、団体崩壊間際の終盤は、様々な要因によって大きく揺れていました。

その中の一つに『Voice Chat問題』を挙げることができます。
(似たような話題は、『Divine Windの歴史』の記事でもふれています。)

というのも、Classic WoW当時の日本人プレイヤーの中には、
Voice Chatに極端なアレルギーを示すプレイヤーも多く、
日本語文字Chatにさえ嫌悪感を示すプレイヤーもいました。

その理由は複合的ですが、一つにはWoWの前にやっていたゲームが、
WoWでのプレイスタイルにも影響を与えていたからだと思います。

WoWより前のMMO RPGでは、Voice Chatはまだ一般的ではなく、
ローマ字でしか会話できないというゲームもありました。

Archimondeサーバーには、WoWより前のゲームで
腕に覚えのあったプレイヤーが多かったので、
そのゲームでの文化をWoWにも持ち込んでいたんですよね。

一方で僕達のグループも、過去にFPSやRTSで鳴らしていたプレイヤーが多く、
そこではVoice Chatを活用するのが既に一般的だったので、
僕達は僕達でその文化をWoWに持ち込んでいたんですよね。

そういった流れの中で、お互いのプレイスタイル同士で必然的に摩擦がおこり、
それが合同Raidにまで波及して亀裂を生んだ、という側面がありました。

そんな状況下で、Voice ChatをPvPで使うことに対する
警鐘というか皮肉というか批判としてなされたのがこの発言です。

マンガ『BABEL』のワンシーンを改変して例えるとこんなイメージになります。
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思わず『なんの腕だよ?!』と突っ込みたくなりますね。



その⑧


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Human Male Wizardによる、PvP指南に関する金言。

PvPの小規模なグループ戦で鍵になるClassは、
Healerであるといっても言いすぎではないでしょう。

攻撃側の視点でいうと、Healerを野放しにするとかなり厄介なので、
まずHealerをどうするかが特に戦闘序盤の焦点となりました。

つまり、Healerに対しては、殺しにかかるかCCするか、
どちらかの対処を序盤にしないといけないわけです。

Healerの中でもPriestは最も相手にしやすかったので、
その状況を端的に言い表したのがこの発言になります。

例によって『べらんめえ調』でいうのがポイントです。



その⑨


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Night Elf Male Rogueによる、BGで相手を倒した後の発言。

これもどういったシチュエーションか記憶が曖昧なところもあるのですが、
たしか某NE RogueがBGで相手を殺した時の発言だったと思います。

この発言が周りのギルドメンバーに面白がられ、
それ以降ネタ的にちょこちょこ使われだしたと記憶しています。

使い方としては、相手をあっけなく倒したような時に、
『余裕で倒した』みたいなニュアンスを漂わせながら使います。
前項の名言との絡みで、Healerあたりを早々に落とした時に使うとぴったりです。

雑コラでイメージを再現すると↓こんな感じになります。
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後ろ姿で非コンバット状態でいうのがポイントですね。



その⑩


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Night Elf Male Rogueによる、RaidからKickされた後の発言。
(これはもしかしたらProudmooreサーバー編かもしれません。)

どこのRaidだったかはよく覚えてないのですが、
某NE RogueがRaid中に動かなくなったんですよね。

回線落ちか何かと思ってみんなしばらく待っていたんですが、
かなり長い間戻ってこなかったので、Raid Leaderが痺れを切らして
某NE RogueをKickしてReplaceしたんですよねたしか。

んで結局理由は寝落ちだったみたいで、その後しばらくして戻ってくるんですが、
Raidから蹴られたことに激怒して言ったのがこの発言です。

周りにとっては自業自得にしか見えませんでしたが、
本人の中ではサラリーマン金太郎の↓こんなシーンの感じだったんでしょう。
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『ちょっと寝落ちしてたぐらいでなんだよ』みたいなことを言いながら
理不尽にキレていたのだけはよく覚えています。




とまあ、今回の記事では、Archimondeサーバーでの名言を、
ハードコアなものを中心に振り返ってみました。

10年前の話だし正確な字句は実際の発言と異なるかもしれません。
また、プライバシー配慮のため、個人名等は伏せてあります。
マンガはハードコアな発言にあわせてそういった雰囲気のものを選んでいます。

こうして思い返してみると、なんていうんですかね、
仕事でもリアルでも体験できないような妙な真剣さとでもいうんですかね、
そういった不思議なことが色々と起こったなあという感じがしてきます。

Proudmooreサーバー時代も色々な出来事が起こりましたが、
関係者はみんな優等生的な感じだったんですよね。

一方Archimondeサーバー時代の関係者はアウトレイジ的な色彩が強く、
個人的には鮮烈さをもって覚えている出来事が多々あります。

ただ一つ補足すると、今回はハードコアな名言に焦点をあてて書いたので、
ちょっとアレなサーバーだったんじゃないかと思われるかもしれませんが、
もちろん嫌な出来事ばかりではなく、楽しい出来事も色々とありました。

また、Archimondeサーバー時代のこういった苦い経験が、
ProudmooreサーバーでのギルドやRaid運営にも活かされたんですよね。
もしこの経験がなければ、『Divine Wind』も存在してなかったかもしれません。

まあ人間の営みなんて兎角そんなものですが、たかがゲームとはいえ、
こういったところでもその不可思議さを改めて感じてしまいました。

いやあWorld of Warcraftの世界って、本当に面白いですねえ。
# by maqie | 2016-03-16 00:55 | WoW回顧録

WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16

WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_10533454.jpg

前回の前編ではこの当時の時代背景やArchimondeサーバーの雰囲気、
ABでの日本人15vs15のガチ対決に至る経緯などを書きました。

今回の後編では、その対決時の動画を振り返りながら、
戦況やポイントなどを解説していきたいと思います。

とりあえず四の五の抜きにして、その時の動画のリンクです。
(ダウンロードしてから見たほうが画質がいいかもしれません。)

ちなみにこれはFdE側(Horde側)のMageである
Aleis氏が作成したものを勝手に拝借して公開しています。
この場を借りて動画作成の御礼を申し上げます。

ABの戦略とセオリー


まずは当時のABの戦略とセオリーから簡単におさらいです。
ABをやりまくってた人にとっては言わずもがなだと思いますが。
(ちなみに当時の話なので、現在はまた違った話になっているかもしれません。)

ABには以下の5つの拠点があります。

  • Stables(略称:ST、SB)

  • Gold Mine(略称:GM、Mine)

  • Blacksmith(略称:BS)

  • Lumber Mill(略称:LM、Mill)

  • Farm


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これらの拠点を多くCapするほどリソースの貯まるスピードが早くなり、
先に2000リソース収集した陣営が最終的に勝ちとなるゲームです。

5つの拠点全てCapするのが理想ですが、当然そうは問屋がおろしません。
多くのゲームでは、3つ目の拠点を奪い合うという戦況になりました。

また、拠点をCapしておけば、死んでもすぐ近くのGraveyardで
自動Rezできたので、その近辺の戦闘ではCapしている側(Def側)が有利でした。

そのため、Defの時は『Fight on the Flag』と連呼されていました。
たとえPvPで勝っても、拠点をCapされると戦況が不利になるからです。

Ally側のCapパターンのセオリーは以下のような感じでした。
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ABの最重要拠点はいうまでもなく中央のBSです。
BSをCapしておけば、どの拠点へもヘルプが行きやすくなります。

BSがある中央の島からAlly陣営方面への橋はGM側にあったので、
この形でCapすると相互にヘルプしやすいわけです。

一方、Horde側のCapパターンのセオリーは以下のような感じでした。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_21283582.jpg

これもAlly側と同じ理由で、BSがある中央の島から
Horde陣営方面への橋はLM側にあったため、
この形でCapすると相互にヘルプしやすいからです。

また、LMは高台になっていてマップ全体が見渡せるため、
戦況がよくわかり、BSに次いで戦略的に有利な立地でした。

WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_21284170.jpg

一度前述のHorde有利のCapパターンに持ち込まれてしまうと、
Ally側はかなりの劣勢に立たされてしまうことが多かったです。

このため、ABは一般的にHorde有利といわれていました。

こういったABにおける戦略とセオリーの前提を思い出した上で、
次は実際の動画での戦況やポイントを解説していきます。

00:25~ 序盤の戦略と戦闘


普段のABの戦闘では、大抵は序盤に中央のBSでガチの戦闘になりました。
それだけBSが重要な拠点だという共通認識をみんな持っていたということです。

AllyとHordeで戦力が拮抗したチーム同士がBSで対決すると、
序盤は延々と戦闘だけが行われて、どちらもなかなかCapできない、
というじれったいケースもよくありました。

この時の対決では、Horde側はセオリーどおりBSをCapすべく、
BS方面に大量にプレイヤーがなだれこんできています。
一方のAlly側は、BSをほぼスルーして、GMとLMを狙う作戦にでます。


というのも、BSでガチの対決をしている間にLMをCapされると、
前述したHorde有利パターンの理由からAlly側がジリ貧になってしまうからです。

また、Ally側はHorde側(FdE)の実力をそれなりに買っていたので、
まともにBSでやりあったら勝算が薄くなるという算段もあったかもしれません。

虚をつかれたHorde側は急いでLMに数人Addしていますが、
LMは結局Ally側がCapすることに成功します。

00:55~ Saruroのスプリント


動画ではこの辺でAlly側のSaruro(白頭巾Rogue)が、
一人でBSにちょっかいを出しにきていますね。

ちょっとこずかれただけで速攻でスプリントを使って
逃走しているシーンは馬鹿っぽくて面白味がありますw
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_2231823.jpg

この白頭巾はGhostshroudという旧BRD産のしょぼい装備です。
さるくんはこの白頭巾ネタでよくいじられていました。

この陽動作戦(?)は地味に功を奏していたようで、
Horde側は何人か騙されてBSに駆けつけています。

その後Saruroは動画で見れる戦闘にはほとんど顔を出さないので、
多分STをほぼ固定でDefしていたんだろうと思います。

ちなみに動画序盤にHorde側はAleis氏とShamanの二人で
ひたすらBSのDefをやってますよね。

一人でDefしているとCCの間にCapされてしまう危険性があったので、
最低でも二人で守るのがABのセオリーでした。

Ally側のCapパターンの困難さ


そうこうしている間に、Capした拠点は以下のような感じに固定されます。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_22131573.jpg


このAlly側のCapパターンは、わりと困難を伴うパターンといえます。
なぜなら、例えばGMからLMにヘルプに行くには遠すぎるからです。


このCapパターンで上手くヘルプを融通しあうためには、
例えばLMが攻められた場合、まずSTのDefがLMに向かい、
手薄になったSTをGMのDefがフォローする、みたいな連携が必要でした。

この時の対決ではAlly側はVentriloというボイスチャットツールを使って
連携をとっていたので、忙しく喋りながら上手くヘルプしあっていたと思います。
もし文字チャットだったらここまで上手くいっていなかったかもしれません。

動画でWakameさんやUlalaはGMにもLMにもHelpしているので、
結構動き回っていたことがわかると思います。
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ちなみに、この対決のAlly側参加者は以下のとおりです。
(なぜか生粋のPvP好きのもえちゃんがいないんですよねえ…。)

<dosukoi>(当時はEoM)
Hasekyo(Rogue Ebizo)
Nelvlesis(Rogue Nementos)
Saruro(Rogue)
Sidou(Rogue)
Ulala(Warrior)
Wakame(Priest Makame)
Florista(Priest Maqi)

<The Desperado>
Acca(Druid)
Fedor(Paladin)
Krath(Wizard)
Ksg(Warrior)
Noraneko(Priest)
Letitia(Mage)
Luas(Mage)
Paai(Mage)

配置はよく覚えてないところもありますが、
動画を見る限りでは、こんな感じだったんだろうと思います。

◇Defense
ST: Acca、Nelvlesis、Saruro
GM: Ksg、Letitia、Florista
LM: Hasekyo、Luas、Noraneko、Sidou

◇Help
Fedor、Krath、Paai,Ulala、Wakame

01:30~ Horde側の反撃の開始


序盤の戦略のアヤで、簡単に3CapされてしまったHorde側ですが、
その後まずはSTとLMをターゲットに反撃を開始します。

動画ではSTが遠くてよく見えませんが、Aleis氏のターゲットから、
Ally側はPaai先生(Mage)、Acca(Druid)、あれぽ先生(Wizard Krath)
あたりの勇姿を見てとることができます。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_8545977.jpg

ただ、この配置でSTを狙うというのは結構無理目な戦略なので、
乱戦になっているものの、STへの攻撃は失敗に終わります。

その後もHorde側はしばらくLMとSTを狙い続けますが、
散発的な攻撃に終わり、Ally側に撃退されてしまっています。

02:15~ Ally側のヘルプ移動の様子


動画のこのあたりでSTがほぼClearされて、
STからLMにAlly側の何人かが移動しているのが見えます。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_858170.jpg

続いてGMからSTにAlly側の何人かが移動しています。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_8585756.jpg

これは前述した連携のような動きをしているところです。

動画途中で、「Every Point 3-5 Guard...」と、
嘆息したような字幕が出ているのは、Horde側から見ると、
Ally側の連携がよくてどの拠点も守りが固く見えたんだと思います。

03:15~ Horde側によるLMへの攻撃


この辺でHorde側がRegroupして、
Aleis氏を含むグループがFarmからLMに攻撃をしかけます。
見た感じ、Mage、Mage、Shamanの三人で移動しています。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_952194.jpg

ミニマップでHorde側の動きを見てみると、まずSTに攻撃をしかけ、
手薄になったLMを別働隊で攻撃する、みたいな感じだったのかもしれません。

んで、Horde側がLMに到着すると、
Ally側のDefはまさおことLuas(Mage)しかいないように見えますw
このシーンでまさおは情けなく逃走しているように見えます。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_22521853.jpg

でもこれって実は結構戦術的な動きなんですよね。

動画をよくみると分かりますが、Hasekyo(Warrior Ebizo)、
Sidou(Rogue)、Noraneko氏(Priest)の三人が、
それぞれ柱の裏、Stealth、Shadowmeldで隠れていて、
まさおはみんなが戦いやすいように上手く敵を引きつけているわけです。
そして頃合をみて、隠れていた三人はいつの間にか登場します。

こんな感じで、旗の周りに誰もいないように見せかけて敵を油断させる、
というのもABの戦術の一つでした。

また、この時の戦闘をよくみると、Hasekyo、Sidou、Luasの三人で、
Horde側のCatzz氏(Shaman)をFocusしてKillしているのがわかると思います。
Catzz氏がAnkhで蘇ってもまたFocusして攻撃しています。

これは以前の記事で書いた『Always Sham論』をまさに体現しているシーンです。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_239189.jpg

結局このLMへの攻撃も、Ally側Defの奮戦に阻まれてしまいます。

04:40~ Horde側によるGMへの強襲


STとLMへの攻撃が立て続けに失敗に終わったHorde側は、
さらにRegroupして、今度はGMに狙いを定めます。

Horde側のPoda氏(Hunter)がチャットで「mine3dayo」と言っているので、
それを見てGMのDefが手薄だと見たのかもしれません。

ミニマップでHorde側の動きを見てみると、ST側からGMを強襲しつつ、
Farm側からも数人AddしてGMを強奪しようという作戦だったようですね。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_92068.jpg

ちなみに僕は終始GMを固定でDefしていました。

なのでこの対決の時は、ミニマップとボイスチャット以外では、
戦況がよく分かってなかったのを覚えています。

Ally側のKsg(Warrior)の守役として、
変な装備でひたすらFlash Healをスパムしている
Floristaという名前のHuman Female Priestが僕ですw
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_920366.jpg

Aleis氏のCastを表示するAdd Onのメッセージを見ると、
棒立ちでFlash Healをスパムするしか能がないNoob Priestに見えますね。。。
まあ全くそのとおりだったわけですが。。。

この時のGMでの戦闘はかなり見ごたえがありますね。
Ally側はKsg(Warrior)、Ulala(Warrior)、まかめさん(Priest)、
Fedor(Human Male Paladin)、Letitia(Mage)あたりが奮戦してます。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_9213550.jpg

Horde側も上手く連携してHealerをCCしつつ、
Mage→WarriorとFocusして落としていっています。
対人の戦闘自体はかなり拮抗している印象です。

ちなみに上記画像の中央付近でZin'rokh, Destroyer of Worlds
ブンブン振り回しているTauren WarriorはSoyokaze氏といって、
Ally側から目の敵にされていた一目置かれていたプレイヤーです。

また、Aleis氏が茂みの中に移動してから攻撃してるのもわかると思います。
このように居場所をわかりづらくして攻撃するというのもABの戦術の一つでした。

そんなこんなで結構やり合いますが、Horde側がジリジリと劣勢になり、
このGMへの強襲も結局失敗に終わります。

06:20~ Horde側によるLMへのZerg


序盤は3capされていても涼しい顔だったHorde側ですが、
GMへの強襲が失敗した時点でAllyのリソースが1000を突破し、
そろそろ焦りが見えはじめたのか、文字チャットが騒がしくなっています。

そして今度は、BSからLMへ向けてZergを開始します。
見た感じ7~8人で連なってZergしていますね。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_9315253.jpg

おそらくGMへの強襲でAlly側のヘルプが多かったので、
今度は反対側のLMが手薄になっていると考えての行動と思われます。

また、GMへの強襲で死んだHorde側プレイヤーが
ちょうどBSで大勢復活していたというのもあったかもしれません。

Ally側にとっては一気にこれだけくると流石にきついので、
いきなりHasekyo→Sidouの二人がFocusで落とされています。

しかし、この時のLMでの戦闘でも、さっきAlly側でGMのヘルプをしていた、
Ulala、まかめさん、Fedorあたりがすぐに駆けつけているんですよねえ。


最後の方はPaai先生まで駆けつけ、あれぽ先生とまさおもいれて
Mage3人がAoEでひゃっほいしています。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_9385884.jpg

Horde側のPoda氏が文字チャットで
「mou mill help4kurai inc sitenai?」と嘆いているのは、
Ally側のヘルプの迅速さをよく表していると思います。

かなり数同士の乱戦になっていますが、Def側有利ということもあり、
またもやHorde側の強襲は失敗に終わります。

07:20~ Horde側に漂いはじめる諦観


ちなみに僕がもしこの時点でHorde側だったとすると、
かなーりやる気がなくなってげんなりしているだろうと思います。

ABは拠点をCapしたりされたりを繰り返すゲームなので、
ここまでガッチリ3Capを死守されるゲームはそうそうないからです。


実際、動画でもこの辺でHorde側に諦めムードが漂っていると思います。

Aleis氏が戦績画面を何度も確認していますが、
数字的にもAlly側が圧勝しているのがわかります。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_9452318.jpg

Hasekyo(Ebizo)がHK一位で活躍しています。
目立ちませんがKsgとNelvlesis(Rogue)が2位と3位で結構活躍してたんですね。
Nelvlesisに至っては動画に全くでてきてないんじゃないかと思いますw

07:50~ Horde側のやけくそ気味の強襲


終盤のHorde側は半ばやけくそ気味になって、
GM→GM→LMと立て続けに強襲をしかけますが、
それらも全てこれまでと同じパターンでAlly側に撃退されています。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_106188.jpg

ちなみに08:10~あたりのGMの戦闘で、あれぽ先生(Wizard)による、
『Mage名物PoM+Pyro』(男塾名物油風呂みたいな感じで)を見ることができます。

WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_9525788.jpg

また、これまでの戦闘では、Horde側はまず対人戦からしかけていたんですが、
終盤は強引にCapばかりを狙っているのがわかります。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_946768.jpg

これは私の想像ですが、この時点でほぼ負けが確定していたので、
少なくとも最後まで3Capを死守されるのだけは阻止してやろう、
といったような気持ちもあったんじゃないでしょうか。

実際にCapされそうな危うさもところどころでありますが、
まかめさんのHoly Novaや、まさお渾身のBlast Waveで事なきを得ています。

最後の方では、まさおが調子にのってFarmまで攻め込んでいたみたいですね。
この辺でAlly側の気が緩んでいたのがよくわかります。
WoW回顧録② ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(後編)~ 2006.07.16_a0091967_9495272.jpg


08:20~あたりでは曲調も悲しげなものに変化していて、
終盤はHorde側が諦めムードだったのをよく表していると思います。

そして結局最後まで序盤の形でAlly側が3Capを死守し、
このABにおける日本人同士の15vs15は、Ally側の勝利に終わりました。


『ZG検問』の雪辱を、見事果たすことができたのです。

対決を振り返って


日本人15人のOrganizedチーム同士でArathi Basinで対決したのは、
少なくとも僕は、後にも先にもこの時の対決しかありません。
WoWの全サーバーで見ても珍しい出来事だったんじゃないでしょうか。

そんな稀有な対戦で、しかも相手はあの因縁のFdEだったというのは、
今思い出してみても結構熱い記憶が蘇ります。

それまではFdEには結構いいようにやられていたので、
Ally側にとっては『雪辱を果たした』みたいな気持ちもあったと思います。

ギアも戦力もほぼ拮抗している相手だし、
僕はこれで負けたら言い訳できんよなあとか思いながら、
かなり集中してプレイしていたのを覚えています。

また、うろ覚えですが、たしかHorde側がZGの攻略は先んじてたんですよね。
なのでAlly側がZGを攻略開始した時や『ZG検問』の時は、
多分ですけどギア的にHorde側が上でした。

その後、Ally側が順調にMCを攻略完了しBWLまで駒を進める一方、
Horde側はたしか合同Raidが頓挫してZGしか攻略できなくなり、
この対決の時にはギア的にはAlly側がおそらく上だったと思います。

こういった点に加えて、以前の記事でも紹介した、

『Skill vs Gear』

『Gearを揃えるのも、Player Skillの内だからなぁ。』

『Gearが揃ってないからPvPできないだってぇ?面白い冗談だね。』

みたいな名言(?)を思い出すと、さらに対決の妙味を感じることができます。

両チームのその後


動画の最後に「Yes.....Time to Revange!!!」(原文まま)と書いてありますが、
その後FdEとこんな感じのチーム戦になったりすることは、
残念ながらフィールドでもBGでもありませんでした。

この対決の二週間後ぐらいから、Ally側は合同Raidが諸般の事情で崩壊してしまい、
僕たち<dosukoi>系メンバーはProudmooreに移住することになります。

まさお達の<The Desperado>系メンバーは、
友人のつてを頼ってBlackrockに移住することになったので、
そもそもこのグループでPvPをやることが物理的にできなくなりました。

Horde側のFdEは、その後<Rasse Ra>として生まれ変わり、
40man Raidの方向性を模索したりしていきますが、
次第にギルド自体の活動が縮小していったと記憶しています。

こうしてAlly/Hordeともに移住その他で日本人が少なくなり、
日本ではArhimondeサーバーは以前のように盛り上がらなくなっていきます。

その後<dosukoi>系メンバーの系譜は、数年前に連載した、
『Divine Windの歴史』へとつながっていくわけです。


そう考えてみると、WoW内で起こった様々な出来事の中で、
この対決も結構なウエイトを占めていたのかもしれないなあと思えてきます。

まあともかく、こういった思い出に残る(?)熱い戦闘ができて、
個人的には勝ち負け抜きにして凄く楽しかったです。
参加したAlly/Hordeのみなさんありがとうございました。

Archimondeサーバー時代は、これ以外にも色々な出来事があったので、
次回以降の回顧録で機会とやる気があったら触れてみたいと思います。

いやあWorld of Warcraftの世界って、本当に面白いですねえ。
# by maqie | 2016-03-06 00:55 | WoW回顧録

WoW回顧録① ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(前編)~ 2006.07.16

WoW回顧録① ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(前編)~ 2006.07.16_a0091967_20474576.jpg

これはBlizzard Entertainment社が2005年に世に送り出した、
『World of Warcraft』というMMO RPGにおける出来事の回顧録です。

第1回目は、2016年現在から時をさかのぼること10年、
2006年7月16日に勃発した、Arathi Basinにおける
日本人同士の15vs15のガチ対決に焦点をあててみたいと思います。

最初は動画だけ簡単に紹介&解説しようと思ったのですが、
この当時の時代背景やサーバーの雰囲気がわかっていないと、
いまいち動画だけ見ても伝わらないと思ったので、
前編後編に分けて振り返ってみることにしました。

前編の今回は、まず時代背景や雰囲気を解説してみたいと思います。

この出来事の時代背景



今回の話は2006年初頭~半ばぐらいの頃のことです。
この当時、Divine Windの前身ギルドにあたるdosukoiのメンバー達は、
ArchimondeというPvPサーバーのAlliance側にいました。

ArchimondeサーバーはWoW発売当初からしばらくは、Blackrockサーバーに次いで、
Alliance/Hordeともに日本人が多いとされているサーバーでした。

ただ、小~中規模のギルドが群雄割拠していて、温度差も激しかったので、
他のサーバーのような合同Raidは長い間行われる気配すらありませんでした。

同じ日本人Allyでありながら、ギルド間でどこか牽制しあっている部分があったというか、
他ギルドに興味がないというか、妙な心理的障壁みたいなものがあるような状況でした。

そのため、多くのギルドは5man/10man Instanceや
Battle Ground(以下BG)を中心に遊んでいました。

WoW回顧録① ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(前編)~ 2006.07.16_a0091967_23275862.jpg

WoW回顧録① ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(前編)~ 2006.07.16_a0091967_23281138.jpg

WoW回顧録① ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(前編)~ 2006.07.16_a0091967_23282220.jpg


特にBGは小規模のグループや個人で遊ぶのにもってこいで、
Honorを稼ぐことによって結構いい装備も手に入ったので、
ずっとBGに篭っているハードコアなPvPプレイヤーも、Ally/Horde問わず多くいました。

また、なんというか、PvPサーバーだけあって、
全体的に『PvPやってる方がかっこいい』みたいな空気感があり、
肩で風切って歩く喧嘩上等なプレイヤーも多かったです。

『俺はPvP生まれ、Battle Ground育ち』みたいなノリですかね。

かくいう僕も、『Real PvP』を標榜して日々BGに足を運んでいましたし、
SidouがGrand Marshalになったのもこのころだったと思います。

WoW回顧録① ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(前編)~ 2006.07.16_a0091967_2352834.jpg


ただ、Classic Wowの終盤はさすがにそれらも完全に飽きてきている状態でした。
そうなってくると、もう20man/40man Raidをやるしかなくなってくるんですよね。

しかも、当時はMC/BWLの装備がBGでもかなり強かったので、
PvPメインのプレイヤーも、BGでひゃっほいするためには
Raid Zoneの攻略をする必要性がでてくるわけです。

例えば、Ragnarosの2H Mace、ZGの2H Sword、MageのT2 8set、etc、
なんかは、BGでもかなりの猛威をふるっていました。

また、敵対している日本人Hordeプレイヤーが、
ZGやMCの装備を着々と整えていっていたというのも影響していたと思います。

そんなこんなでClassic WoWの終盤にようやくArchimondeサーバーでも
ついに合同Raidが発足していくわけですが、その辺のいきさつを書くには
『Divine Windの歴史』を書くのと同じぐらいの文章量が必要なのと、
僕自身も軽いトラウマがあるので、ここでは割愛しますw

WoW回顧録① ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(前編)~ 2006.07.16_a0091967_233036.jpg


日本人Hordeギルドとの軋轢



PvEサーバーでしかやったことない人には伝わりにくいかもしれませんが、
PvPサーバーではフィールドでも常にPvPフラグが立っているため、
Hordeと出会うと即戦闘に発展することが多々ありました。

ArchimondeサーバーにはHorde側にも日本人が大勢いたので、
当然日本人のAllyとHorde同士が顔を合わせると、熱い戦闘になりがちでした。

そんな雰囲気をマンガ『アキラ』のシーンで表すと↓こんな感じです。

WoW回顧録① ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(前編)~ 2006.07.16_a0091967_2203396.jpg


WoW回顧録① ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(前編)~ 2006.07.16_a0091967_2255180.jpg

こういったノリの抗争が、フィールドで、またBGで、夜な夜な繰り広げられていました。

そんな中で、Archimondeの日本人Allyから一目置かれていた&嫌がられていた、
『Free and Easy』(通称FdE)という日本人Hordeギルドがありました。

ギルド名は一見カジュアル風ですが、中身はガチなハードコアPvPプレイヤーが多く、
フィールドやBGで日本人Allyがいるとみるや、執拗に襲い掛かってくるし、
それだけでは飽き足らず、日本人AllyのPvP好きの連中に声をかけて、
5 vs 5のグループ対戦をThousand Needlesのフィールドでやったりしていました。
(当時はArenaが実装されていないため、小規模対戦はそういった方法しかありませんでした。)

『ZG検問』の恐怖



また、FdEは日本人AllyのZGやMCの合同Raidの集合時間付近にそこで待ち伏せし、
個別にやってきた日本人Allyプレイヤーを片っ端からGankしたりもしていました。
(ちなみにZG入り口付近での待ち伏せは、『ZG検問』とか呼ばれていました。)

WoW回顧録① ~Arathi Basin日本人15vs15ガチ対決(前編)~ 2006.07.16_a0091967_2335467.jpg


こういった嫌がらせ(?)への対策として、こっちも集団戦を挑もうとかいう話も出たりしましたが、
そうするとRaid時間がとれなくなってしまうといったジレンマもあり、
結局毎回泣きながら逃げてゾンビしつつZone Inしていたのは苦い思い出です。

ただまあこれらはあくまで『PvPサーバー』の文脈では当たり前ともいえる出来事だったので、
抗争はよくしていましたが、憎しみとかわだかまりとかいったものはありませんでした。

Arathi Basinでのグループ対戦の勃発



日本人Allyの合同Raidはそこそこ軌道にのってきていたので、その中で仲がよくなったメンバーで、
Raid後などにOrganaizedなグループを作ってよくBGに遊びにいったりしていました。

そこではVoice Chatを使って連携をとりながらやっていたので、
Arathi Basin(AB)やWarsong Gulch(WSG)では簡単に圧勝することができていました。
(ちなみに、これはその後の合同Raidの不協和音の一因ともなってしまいます。)

そんなある日、15人のグループを作ってABにキューをいれてBG内に入ると、
いつもは相手HordeはPuGばかりなのに、この時はどこかで見たような名前ばかり並んでいました。

そう、相手の15人はなんとあの『Free and Easy』のメンバーだったのです!

これにはこちら側のVoice Chatも『相手がFdEじゃねえか!!!』と俄然盛り上がります。
今こそ『ZG検問』でGankされた恨みを晴らす時だったのです。

ってことでその時の動画の紹介&解説になるわけですが、
例によって前置きが長くなりすぎましたので、続きは後編にて。
# by maqie | 2016-03-02 00:55 | WoW回顧録

告知みたいなもの

告知みたいなもの_a0091967_14311060.jpg


さて、このブログも今年でめでたく開設から10年を迎えます。

月日が経つのは早いものですね。

ただその反面、過去のWoWのことを思い出してみると、
もっと昔の出来事であったかのような感じもします。

実生活上での出来事と、論理空間上での出来事とでは、
時間の感覚がちょっとずれてるのかもしれませんね。

んで、なんの告知かというと、ブログ開設10周年を記念して(?)、
過去のWoWの出来事を懐かしむ記事を今後書いていこうと思ってます。

きっかけは、Ebizo君からWoWのムービーをくれという連絡があって、
僕もちょっと昔を懐かしんでみたくなったからです。

似たようなことは「Divine Windの歴史」ですでにやりましたが、
あそこまでガチで書くような体力や気力はもうないので、
今回は過去の主な動画とか出来事を中心に、
解説を加えながらオムニバスっぽく回顧していきたいと思っています。

まあちょっと思いついただけで、どれだけやる気が続くかわかりませんが、
Archimonde(前のサーバー)時代あたりから少しずつ振り返ってみたいと思います。

ってわけで期待せずに待っていてください:p
# by maqie | 2016-03-01 00:55 | WoW回顧録


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