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Divine Windの歴史⑤

~泣き虫プレイヤーの3年戦争~
この物語は、あるMMORPGの荒廃に戦いを挑んだ、熱血プレイヤー達の記録である。
日本WoW界において、全く無名の弱体ギルドが、荒廃の中から健全な精神を培い、
わずか数年で全国優勝を成し遂げた奇跡を通じて、その原動力となった信頼と愛を、
余すところなくドラマ化したものである。


※フィクションです。

今回はDivine Windの25man Raidが軌道に乗り始める、2007年6月~8月頃の話です。
文章がどんどん長くなっていってる気がしますが、気にしないようにします。



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[Divine Windの歴史⑤]
[Gruul~Magtheridon~Raid体制整備~SSC・TK攻略開始]


2007年6月~Guild合併、それから
第二次Divine Wind成立当初、Guild MasterであったMakameさんは、
『年内にArchimonde様を倒す』という目標を掲げます。

個人的には『Black Temple攻略』とまで洒落込みたいところでしたが、
スタートも大分遅れたし、実際問題として慢性的な人不足もあったので、
現実的にはこの辺が妥当なラインというか、大目標ですらあったといえます。

この当時存在していた25man Raid Zoneは、
『Gruul's Lair』、『Magtheridon's Lair』、『Serpentshrine Cavern』、
『The Eye』、『Mount Hyjal』、そして実装されて間もなかった『Black Temple』の6つ。

目標通りにMount Hyjalに行ってArchimondeを倒すためには、
この当時非常に難しいBossとして名高かった、
Lady VashjとKael'thas Sunstriderの二人を倒す必要がありました。
つまりSSCとTKをクリアーしないとダメだったわけです。

そのSSCとTKをクリアするためには、Nightbane、Gruul、MagtheridonのSlainと、
さらに4つのLv70 Heroic Instanceをクリアする必要もありました。
(後にこれらは緩和されることにはなります。)

今思えば本当に長い道のりです。

この長い道のりを、ぶれずにしっかりと歩み続けるには、
それ相応の体制を構築する必要があることは明らかでした。

幸いなことに、元々両Guildはそれぞれの体制がしっかりしており、
チームワークも良く、合併前からずっと調整を続けていたのもあって、
比較的スムーズに一つのGuildとしてのRaid体制に移行できていました。

そのため、まだ調整を必要とする点がいくつか残ってはいましたが、
当面は攻略を最優先とし、その過程の中で体制を固めていく方針になります。
Deguchiさん風に表現すると『Raidはマグロ、泳ぎ続けないと死んでしまう』からです。

そしてこの頃の僕らの当面の目標は、『Gruulを倒すこと』でした。


2007年6月中旬~Gruul the Dragon Killer Slain
とはいったものの、人が少しだけ足りない状況は相変わらず続いていました。
みんな口癖のように『後何人か入ってくれないかな』と言っていたような気がします。

もちろんリクルートもずっとしていたのですが、思ったように人は増えませんでした。
なぜ人が増えなかったのかというと、以下のような背景を挙げることができると思います。

・25manが順調なGuildのメンバーにとって、移籍に踏み切る積極的理由はなかった
・少数Guildや個人でも、KarazhanやHeroicやArenaなどで楽しむ余地がまだまだあった
・Raidの開催すらおぼつかず、実績も低いDivine Windに入隊するのは、ある意味リスキーだった
・TBC前後の傷跡や悪い風聞をまだ引きずっていた(実際両Guildとも2chで散々叩かれていた)
・Kerogさんが在籍していた

Gruulはご存知の通り、Glowの数が大きくなるにつれて痛くなり、
Tank Downの可能性が飛躍的に高まるため、Tankの高いHPやArmorが必要なのもさることながら、
1つでも少ないGlow数でいかに削りきるかという、DPS勝負の側面が大きいBossでした。

このようなBurn Fight型のBossにおいて、DPS陣が少ないのは割と致命的です。
当たり前の話ですが、Raidの中で戦闘を早く終わらせることができるClassは、
DPS Classをおいて他にないからです。

DPS=DPS(DPS equal DPS)
ここでちょっと脱線して、当時のDivine WindのDPS陣について書きたいと思います。

DPSのことしか書かないのは、僕がMageだったのもあり、
正直なところDPS陣のこと以外は詳細が分からないからです。

Raidでありがちなシチュエーションの一つに、TankかHealerが足りず、
Raidそのものが成り立たない、というのがあります。
しかしこの当時のDivine Windはその逆で、TankとHealerは割と足りており、
DPSが人手不足というある種珍しい状況にありました。

ただ、人が足りないとはいえ、当時のDivine WindのDPS陣には、
DPSに対するプライドや一家言を持った優秀なプレイヤーがおり、
彼らがDPS陣全体を牽引しつつ、ある種のDPS文化みたいなものを形成していました。

そのプレイヤーとは、Ebizo(Rogue)、Sidou(Rogue)、Kerog(Mage)の三人です。

当時のDivine Wind DPS陣の中で、仮に海外のTop Guildに行ったとしても
通用しそうなのはこの三人ぐらいだろう、とすら僕は思っていました。
(Kerogさんはすぐ腰砕けになるので怪しい面も大きかったですが。)

三人ともに共通するのは、非常に負けず嫌いな性格であり、
DPSを出すための意識が高く、手を抜くということが無いこと。
Talent Build、Skill Rotation、Gear、Grouping、Positioning等々、
よりDPSを上げるための要素の研究にも余念がありませんでした。

特にKerog氏以外の二人は、背中で語りながら黙々とDPSをするタイプで、
DPSが高いからといって偉ぶるわけでもなく(実際は影で自慢したりしていましたが)、
ユニークな性格だったのもあり、他の多くのDPS陣に好影響を与えていたと思います。

そんな彼らに引っ張られ、『俺達ァDivine Windだぜ?』を合言葉に、
Tankが稼いだThreatギリギリを攻め、かつTargetを跳ねさせず、
しかも無駄なダメージを食らわずに、個々人のDPSを最大化させていくという、
今となっては基本的なDPSスタイルがDPS陣の中で確立されていきます。

DPS競争はともすればRaidの弊害になりかねない中で、
DPSメンバー同士で馬鹿にしあったり自慢しあったりすることもなく、
良い意味でしのぎを削る状況になっていったことは、
Raidにとって好ましい流れだったと思います。

ただ、Kerogさんだけは例外で、行き過ぎた言動をして顰蹙を買う事が良くあり、
それに対しては、以下のような馬鹿にしたやりとりが定番となっていました。

○○が1位、Kerogさんが2位の時
Kerog 「くそ~○○さんに負けた!」
○○ 『ああ、すいません。Damageメーター全然見てませんでした。』
もしくは、
○○ 『あ、Kerogさん居たんですか。(気づきませんでした。)』

いまいちだったKerogさんを馬鹿にしながら
○○ 『Kerogさん、どうしたんですか?』
Kerog 「すいません、トイレいってたんですよ。」
○○ 『俺もシャワー浴びてたんですけどね。』

戦闘の途中で死んでしまったKerogさんを見て一言
○○ 『"Dead mage is zero dps."』

話を元に戻します。

依然として人数が微妙な状況の中、
Guild Memberの周旋の甲斐あってか、微増ながらも人は増えていきます。

旧Divine Wind方面からは、Archimonde時代のGuild MemberだったYosinoさんや、
その友人のRokeiさん達が加わり、旧Galvanized方面からは、
合併前に加入していたChiralityさんや、Galvanize解散後に復帰したメンバー達が
Lv70になりつつもあり、少しずつ明るい兆候が見えはじめていました。
Luneを脱退したDardさんが加入したのもこの前後の時期だったように思います。

そして、High King Maulger 1st Killから約1ヶ月半後の2007年6月17日、
久しぶりに人数とClassが満足に揃ったRaidを行う事ができ、
ついにGruul the Dragon Killerの1st Killに成功します。


少し種明かしをすると、この頃は丁度Ogri'laが導入された時期で、
Gruul向けのFlaskなどが実装され、相対的に見てGruulは少しNerfされていた、
というのも実は大きかったかもしれません。

Gruulを倒した事によって、ついにSSCへの扉は開かれることになります。
倒したその足でAttunement Questを終わらせ、SSCに見学に行った記憶があります。

セオリーどおりに行けば、Gruulを倒した後はMagtheridonでしたが、
方向性としては、SSCの攻略を先に開始するという選択肢もありました。
しかし、SSCはT5 Zoneであり、雑魚パックのいる本格的Raid Zoneなので、
Tryをするにあたっては、毎週それなりの時間と覚悟が必要でした。

ならば、ほぼBoss単体しかいないMagtheridon's Lairを先にFarm化しておき、
T4 Chestその他を安定供給できる状況を作っておいてから、
本格的にSSCもしくはTKの攻略を開始した方が良いだろうという方針になり、
次なる目標を『Magtheridonの攻略』に定めます。


2007年7月7日~Magtheridon Slain
誤解を恐れずに言えば、Magtheridonはシンプルで簡単なBossでした。
最初に周りにいる5人のChannelerを倒し、後は本体を倒すだけです。

とはいったものの、実際には厄介な点がいくつかありました。

一つは5人のChannelerをKeepするためのTankが4~5人必要だったこと、
もう一つは定期的に沸くInfernalを処理するためのWarlockが何人か必要だったことです。

最初の頃のTryはTankが足りずにChannelerのKeepが上手くいかなかったり、
Warlock不足でInfernalを処理しきれずにHealerが死んだりしていました。
そのため、必須Classが足りずに中止になることも多く、
しばらくの間は満足な陣容を整えてTryすることができませんでした。

その後、Tankが足りない時は2Keepする方法が上手くいくようになっていき、
Warlockも一時休止気味だったCaeさんが復帰したり、
Duskwood鯖で毎晩枕を濡らしていたYuzuteaが加入したりして、
その辺は段々形になるようになっていきます。

しかし、Magtheridonには最後にもう一つ、最大の問題点がありました。
それは『Blastnovaのタイミングで、5個のCubeを同時に押す』ということです。

このCubeはDebuffの都合上、同じ5人で押し続けるわけにはいかず、
最低でも10人(死ぬ可能性も考えると13人)ぐらいを割り当てておく必要がありました。
しかも、『その中の誰かが1回でもミスると即Wipe』という情け容赦の無さでした。

『1人がミスると即Wipe』というイライラ棒的なBossはその後も何匹か出て来ますが、
Magtheridonはそのはしりだったと思います。

かくいう僕もずっとCubeを触る役だったので、初期の頃は凄く緊張していました。
しかもCubeを押す人をアサインする役でもあったので、毎回それで頭を悩ませました。

実際のMagtheridonのTryでのWipeのほとんどは、このCubeの押しミスが原因であり、
しかも誰がミスったかすぐに分かるので、『誰々のミスで全体がWipe』という図式になり、
ともすればWipeによってRaid全体が悪い空気になっていたような気もします。

しかし、所詮は同じタイミングで同じCubeを押すだけ。
冷静に考えれば、関口宏の東京フレンドパークばりの簡単さです。
みんなでCubeの押し方Movieみたいなのを作って認識の共有をしたり、
VCで積極的にアナウンスやレクチャーをしたりしながらTryを繰り返す内に、
だんだん慣れていき、次第に倒せそうな手ごたえを感じ始めます。

そして、きちんとしたTryとしては3回目のRaidである2007年7月7日、
Magtheridonの1st Killに成功します。


MagtheridonはT4 ZoneのLast Bossであり、凄く重厚なBossでもあったので、
倒した時はカタルシスのようなものを感じました。
Honor HoldでMagtheridonの首を掲げるイベントも良かった。

この結果、Proudmoore Allyの日本人ギルドの中では初のMagtheridon Killとなり、
それまではLuneが進捗で一歩リードしていましたが、Divine Windもほぼ肩を並べることになります。


2007年7月初旬~Raid体制の整備
第二次Divine Wind成立後、遅い進行ながらもGruul→Magtheridonと
順調に進んできたDivine Windですが、Raid体制の整備については、
割と後回し気味だったというか、しばらく棚上げになっていました。

この頃は何か問題点が挙がるたびに、
『Raid後に話し合いましょうか』→(Raid後は達成感で満足してうやむやに)
というのを繰り返していた気がします。

そうこうしている間に、Guild合併から1ヶ月近くたち、
いよいよSSC・TKといった本格Raid Zoneを攻略していこうという段になってきたので、
2007年7月10日にIRCにて、全員参加の会議を開くことになります。

何故VCではなくIRCだったかといえば、この会議のちょっと前に、
VCでなんとなく決まったことをいざForumで伝えると、
『聞いていない』という意見があり、白紙に戻ったりしたので、
ログとして残る形にしよう、という経緯があったためだったと記憶しています。

また、VCではその場の勢いで物事が決まってしまうきらいがあり、
Forumではしっかりとした議論ができるものの、話し合いとして使うには不便すぎるので、
その中間的な存在のIRCにしよう、というのもあったかと思います。

会議自体は特にもめることもなく、再確認と承認を主にして順調に進みました。

というのも、表面化していた問題点や調整点のいくつかは、
Raidを進めていく中での話し合いやForum上でのやりとりで、
ある程度の方向性は既に決まりつつあったからです。

この会議の結果、以下のようなRaid体制が構築されることになります。

Co-Raid Leader: Diecbeck
Co-Raid Leader: Deguchi

Tank Leader: Ulala
Melee DPS Leader: Ebizo
Ranged DPS Leader: Magatsuhi
Healer Leader: Kitax

Loot Management: Kelpie, Cae, Maqi

Banker: Kerog

Raid Leaderに負荷や権限が集中しすぎると問題が起こりやすいというのは、
過去の経緯からしても、皆の認識として一致していたので、
Raid Leaderを複数人置き、さらにRaidの役割毎に4つのSectionを作り、
それぞれのLeaderを立てることで、Raid運営上の権限と負荷を分散した体制をとります。

共同Raid Leaderには、KarazhanからずっとRaid LeaderをしてきていたDiecbeckさんと、
Galvanizeの鬼軍曹としてRaidを引っ張ってきていたDeguchiさんの二人が決まり、
残りのSection Leaderは、各Class毎に話し合って自然に決まっていったと思います。

そして基本的に、Raidの運営や進行まわりについては、
Raid Leaderと各Section Leader(Class Leader)の合議によって決定していくこととし、
重要な議題については、Forumを中心とした話し合いで決定していくことになります。

Loot Managementは、PMA時代もそうであったように、割と面倒臭い部分があるので、
別立てのチームとして、複数人で管理していくことになります。

KerogさんがBankerというのは、今考えると泥棒に金庫の鍵を預けるようなものですが、
仕事自体は向いていたようで、AHに張り付いて、横領疑惑をかけられながらも
Raid資金の調達に励んだり、Raid必須Itemの調達をしたりと、精力的に働いていました。

MakameさんがLeaderの中に入っていませんが、MakameさんはGuild全体を俯瞰する、
いわば幹事長的な立場に徹する事にしていたと記憶しています。
Raidを鳩山内閣、Guildを民主党に見立てると分かりやすいかもしれません。

Makameさん自身は、Divine Windを立ち上げるにあたって、
Member一人一人が主体的に行動し、本来の意味でのGuild MasterやOfficerを必要としない、
成熟したGuildにしたいと考えていたので、名実ともにGuildのボスではありましたが、
あくまでGuildとRaidが軌道に乗るまでのまとめ役的な役割だけを希望していたように思います。
(現在のDivine WindのGuild MasterやOfficerが明確に存在しないのは、この理由によります。)

ちなみに当時の僕も中心メンバーの一人であったのは確かですが、
過去の経緯上、僕が一旦イラッとくると大きな事態に発展することが多かったので、
その戒めのためにも、権限を持つような立場にはつかないようにしていました。
(そういう立場が面倒くさいと考えていた面も勿論あります。)

ただ、Raidの心臓部として最も重要なものはLoot管理システムであると考えており、
そこだけはきっちりと構築しておく必要があると思っていたし、
『WoWのLoot管理システムに日本で一番詳しい』とうそぶいてもいたので、
Loot管理システムの整備については、僕にほぼ一任されることになります。

EPGPについて
世界的にみて、当時のLoot管理システムの主流はDKPによるものであり、
僕も海外のUBER Guild並に洗練されたDKP Systemを導入したいと思っていました。

しかし、ひとえにDKP Systemと言っても、実際にはいくつも種類があり、
それぞれに一長一短あったので、Divine Windにとって親和性の高いものを
導入するにはどうすればよいか、色々と頭を悩ませていました。

そんなある時、英語版WikipediaとGoogle Codeにて、
『EPGP』というWoWのLoot管理システムがあることを知ります。

最初は興味本位でしたが、EPGPの概要や仕組みを読み進めていくうちに、
EPGPは過去のDKP Systemの問題点を明確に意識しながら設計されていて、
その問題点のほとんどを解消しうるシステムであるということが分かってきました。

ちなみにEPGPとは、Effort Point/Gear Pointの略で、確か元々は、
GoogleのDeveloperでもあったWoWのプレイヤーが開発したものだったと思います。
これを見つけた時は『流石はGoogleのDeveloperだ』と思った記憶があります。

現在のDivine Windにとってはポピュラーなシステムですが、
仕組みを簡単に説明すると、Raidの参加時に加算されるEffort Pointと、
Item取得時に加算されるGear Pointとの比率を個人毎に算出し、
その値によって次のItem取得の優先順位を決めるシステムです。

過去に様々なDKP Systemを体験し、それらの問題点を熟知していた僕にとって、
EPGPが相当画期的なシステムであることは、直感的にはすぐ分かりましたが、
この当時は考案されたばかりで導入実績もほとんどなく、未知な部分も多いシステムであり、
実際に導入するにあたっては、正直なところいまひとつ自信がありませんでした。

そこで僕はとりあえず、Kerogさんにオリエンテーションをしてみることにします。

過去のPMAでのDKP Systemを散々に悪用して暴虐の限りをつくし、
数々のプレイヤーを失意のどん底に叩き落とした経験のある、筋金入りのItem厨だった
Kerogさんの反応を見ることは、一つの試金石になると考えたからです。

そしてGnomereganにてオリエンテーションを行った結果、
半分ぐらいしか理解していないような感じもありましたが、
『良さそうなシステムですね』という回答を得ます。

その後も何人かに説明し、Forumでも詳細な説明を行い、
Guildメンバー全員からある程度のコンセンサスを得ることができたので、
EPGPはLoot管理システムとして正式に採用されることになりました。

導入後しばらくは心配でしたが、概ね想定どおり順調に作動していき、
その後もDivine Windの心臓部として、現在まで脈々と動き続けていきます。

しかし、"No system is perfect."です。

基本的には順調に作動していった一方で、運営上で調整が必要な事態や、
様々な問題点も往々にして発生し続けていきました。
中にはForumで喧々諤々の議論になることもあり、それらの調整や解決策の検討で、
僕自身も頭を悩ませ続け、それが元で疲弊することも多々ありました。

そんな状況をチャーチル風に皮肉ると、以下のようにいえるかもしれません。

"Indeed, it has been said that EPGP is the worst system of loot management except all those other systems that have been tried from time to time."

『実際のところ、EPGPは最悪のLoot管理システムと言うことが出来る。
これまでに試みられてきたEPGP以外のあらゆるLoot管理システムを除けば、だが。』


2007年7月-8月~SSC・TKの攻略開始
こうしてGruulとMagtheridonを倒し、Raid体制を整えたDivine Windは、
ようやく本格的な25man Raid ZoneであるSSCとTKへ駒を進め、
それぞれ一体ずつ、簡単といわれていたBossを撃破します。

2007年7月29日 Void Reaver 1st Kill(TK)
2007年8月5日 The Lurker Below 1st Kill(SSC)


SSCとTKはLast BossのVashjとKaelが相当難しいという噂でしたが、
途中のBossはそこまで難しくないというふれ込みだったと思います。
実際、上記の二つは特に簡単で、ほとんど1st Tryで倒すことができました。

個人的にはこの時、あれだけ行きたいと思っていたSSCとTKにやっと到達でき、
それぞれ一体ずつBossを倒せたということで、ある種の達成感を感じていました。
Raidの人員や体制も整ってきていたので、どんどん攻略していけそうな期待感もありました。

しかし、この時点でKarazhan Clearからはや4ヶ月。

日本的に見れば、SSCとTKはまだまだこれからのZoneでしたが、
WoW全体として見ると、旬な時期は過ぎ去りつつありました。

Raidを前に進めようと、ここまで自分なりに一生懸命頑張ってはきましたが、
TBC開始当初に持っていた『コンテンツを旬な時期に楽しんでいきたい』という理想からは、
遠く離れた状況にいるような気もしていました。

また、元々せっかちで、ストレス耐性の低い性格だったのもあり、
4ヶ月間のRaid体制整備の負荷や、人が足りないことへの焦燥感によって、
メンタル的に疲弊しきっていた部分もありました。

そしてリアルの都合も重なり、2007年8月8日、僕は一旦休業することにします。

Raidは人数をそろえ、体制を整えるまでが8割で、あとはTacticsさえ理解すれば、
放っておいても(というのは言いすぎですが)、前に進み続けることはできます。
勝手に休業しておいて無責任ですが、ここまでくれば、ここから先は
問題なく進んでいけるだろうという、変な確信のようなものだけはありました。

その確信が当たったかはどうかは分かりませんが、その後もDivine Windは
SSCとTKを順調に攻略していき、苦労しながらもVashjとKaelを倒すことに成功します。
そしてさらに、Mount Hyjal、Black Templeまでも次々と攻略していくことになり、
いわばDivine Windの黄金時代(?)が幕を開けていくことになるわけですが、続きはまた次回。


※ちなみに今回の時期のメンバーは以下のとおり。
Divine Windの歴史⑤_a0091967_2514427.jpg
(and anyone I missed off!)
[敬称略・*印は前回の一覧から増えたメンバー]
※アクティブ率の低かったメンバーや、Lv70になっていなかったメンバーは入っていません。


(Kerog伝説はまた今度!)
by maqie | 2009-11-02 00:55 | Divine Windの歴史


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